横川駅・・坂本宿・・碓氷峠(960m)・・軽井沢宿・・軽井沢駅
坂本宿は参勤交代に伴い碓氷峠の登り口に宿場が必要となった徳川家光の時代、1625年に付近の住民を移住させ、幅員15m・延長700mの直線道路を造成した近代的な都市計画がされ、両側に旅籠が並んでいた。今は旧国道18号線として使われている。
広い道路の突き当たりがこれから登る碓氷峠の入口である。
舗装された道は傾斜しながら右に曲がり、自動車道路はこの先クネクネと碓氷峠を登るのだ。
旧中山道は自動車道路脇の登山口から始まった。
狭い登山道、初めての人は急な坂に驚くに違いないが、自称登山家は久しぶりの山登りになり気分は上々、沢山の旅人がここを通ったのかと思いつつ、ほら坂だ、ほい坂、ほい坂と順調に登る。道ばたに沢山の立て札だ、・・・の説明が書かれていたが、余りに多いので読んでいると日が暮れそう。
途中で坂本宿を一望できる場所で休憩。看板(安政遠足/侍マラソン)とある立て看板だ。
ほぼ平らな道や(座頭転がし)とおどろおどろしい名前が付けられた場所もある。
ここまでどうしてきたのかまったく不明な車が放置してある。木々に囲まれた狭い街道を無理やり走行してきて、動きが取れなかったのか、まさかヘリを使って空輸したのか。謎だらけだ。
このコースを駆け足で登る、安政遠足(あんせいとうあし)は安政2年(1855年)に安中藩の侍達の鍛錬にと、安中から碓氷峠の天辺まで駆け抜けたことが始まりで、今も侍マラソンと名を変えて、約1500人が全員仮装して走るのだとか。
安中市役所近くから碓氷峠の熊野神社まで、標高差1000m、距離30kmを最速2時間で走り抜けるらしい。すごいなあ。
ここまでは広いハイキングコースだったのが、急に背丈にも伸びた草をかき分けて進む登山道に変身だ。春ゼミがやかましく(ギャーキュ、ギャーキュ)と鳴いている。
視界が開けて峠の頂上に出た。長野県との県境をまたいで2軒並んだ熊野神社に詣でる。
まて、春ゼミの声がない。誰かが録音した蝉の声を流していて人の姿で制御してオフにしたか。
峠から軽井沢の街までは樹木が茂る別荘地を抜け、軽井沢駅からはバスで横川駅に戻った。
2012/5/29