中山道の旅

23:野尻宿・三留野宿・妻籠宿


(伝説)・・兜観音

    ・・鯉岩



野尻宿・・・JR中央線/野尻駅 

三留野宿・・JR中央線/南木曽駅

妻籠宿・・・JR中央線/南木曽駅

       南木曽コミバス/妻籠バス停

妻籠宿の旅館



大桑・・野尻宿・・三留野宿・・妻籠宿(泊)


大桑ー野尻宿

 「野尻宿」に入った。雲に覆われている明るい空だ。遠くの山が高山でもあるかのように雲がたなびいてる。

 

 南木曽駅に出て木曽川に架かる木製の、桃介橋の見学だ。大正11年に架けられたが、老朽化で平成5年になり復元された。この辺りは木材産業が盛んなのか材木に加工するノコギリの音と木の香りが漂ってくる。

 

「妻籠宿」は昭和になって復元工事したようだ。国道と中央線から見放され、廃墟寸前まで荒れ果てた。それでも住みたい人達は勝手に家を建てたりして、古き良き時代が消え、ますます人口は減り続けた。

 

 そんなとき、誰が決めたでもなく、住民達が集まり昔の良き宿場に復元し始めた。外観から遠くの山までを含めた細かな規則が出来て、自動販売機のない、電柱が見えない、宿場が完成して、多くの観光客を集めることになった。

 

 中山道には、また次の機会に来たら見学できそうな場所が沢山ある。わざわざそのためにここに来ることはないだろうから、とここでも見学料を払ってしまった。

 

 平成7年に再建した本陣を巡り、大きな台所だけでおんぼろ我が家が何件も建ちそうだ。すごいと関心して、次に脇本陣で地元のガイドの話を聞きながら細かく見学した。

 

 この脇本陣は、造り酒屋で儲けたお金をふんだんに使い、明治初期に建て替えたとか。

皇女和宮が京都から江戸に向かう時に大行列になり、この従者が3万人を越えるほどであった。

 

 この行列がある事を夢枕で知って、大量の酒を近隣から集めて大商いをしたとか。

明治になるとその金を使い今までご禁制だったヒノキで脇本陣を建て替えたのだ。

 

 最近の金持ちはこんな事をしないで、ひたすらお金を貯めてばかりで、それも海外の隠し口座でたんまりと。いやだね金持ちはああ貧乏人で良かった。

 

 予約した旅籠は妻籠宿の真ん中にあった。玄関先にあざやかな花が咲いている。そこに150年の歴史があった。

2013/5/29



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