中山道の旅

29:伏見宿・太田宿


(歴史)・・中山道太田宿



伏見宿・・名鉄広見線/明智駅

太田宿・・JR高山本線/美濃太田駅

鵜沼宿・・名鉄各務原線/鵜沼宿駅


〜御嶽駅・・伏見宿・・太田宿・・鵜沼宿・・苧ヶ瀬駅〜


 今日は『伏見宿』から『鵜沼宿』までおよそ17km、終盤に(うとう峠)がある。

 

 中山道はまた国道21号線になり、車の発する轟音とともに歩を進めるのだ。それにしても、ものすごい音と飛ばされそうな風を巻き込んで、続けざまに通過するのだ。しかも歩道の幅は50cmほどだ。それに中山道を示す道標が無い。耐えきれなくなり、並行している路地に逃げ込むと、虫と小鳥の声がした。

 

 路地はなくなり、また轟音街道を進むことになった。おそらくここが中山道だろうと車の流れから右にそれた。旧家らしい面影を留める屋敷があったが、地図と勘を頼りに進むしかない。

 また車の音だ、車流れが途絶えると急に静かだが、車道と歩道の境はペンキの帯だけだ。

 

 木曽川に降りる道はないらしい。堤防に斬新な街灯が設置してある。

2本のパイプの天辺に照明灯を取り付けた構造だが、そのパイプの間になぜか大きな石が5個挟まっている。それが何本も続いている。理解不明。帰宅したら太田宿の観光協会に質問メールを入れることにした。

 

 太田宿、この付近は昭和58年9月28日の台風で木曽川が溢れ、天井まで水が来たとか。

それまでは堤防がなく、修復された脇本陣で説明を聞くと、幾度も水害に遭った場所で、床板がイカダになり、竿は天井に吊ってる竹の棒とか。30年前はとても酷く、ダムの放水もあってこの辺は壊滅してしまった。

 

 木曽川の堤防道は続いている。舗装してあり、また火傷になりそうな暑さが足の裏からやってくる。草地は傾斜していて歩きにくい場所だ。

 

 つぶれた食堂の駐車場の脇から国道をくぐるとうとう峠になるが、通行禁止の立て札が行く手を塞いでいた。

 

 今年中はだめらしい。どうせ大雨で橋が落ちたか、崖崩れなら何とかなんとか通過できるかなと、突入したが街道脇の木々が道をふさぎ、予想した通り橋が落ちてる。この程度なら強行突破したいがもう夕方が近い。木曽川沿いの歩道街道を行くしかなかった。

2013/9/23



喫茶店でモーニングサービス

太田宿の中心部

木曽川土手の街灯



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