中山道の旅

4:桶川宿・鴻巣宿


(昔話)・・明星の井戸

    ・・こうのとり伝説



桶川宿・・JR高崎線/桶川駅

     桶川祇園祭(7月)

鴻巣宿・・JR高崎線/鴻巣駅

     ひな祭り(2月


〜桶川駅・・桶川宿・・鴻巣宿・・鴻巣駅〜


 盆栽の柿を手入れしている人に話しかけ、その柿はキンカンほど小さくて渋いらしい

木の高さが20センチでは、秋の姿を楽しむだけでとか。

     

『北本駅』の西口に出て、飲屋街を抜けると畑の中の道に変わりすぐ傍が鉄道の線路になった。

『馬室原一里塚』の古びた看板が目に入った。江戸初期の古中山道の存在を初めて知った。

     

 立て看板の10mほどの奥に『一里塚』があった。背の高さほどの土を盛った塚で、

周りを石が囲み、塚のテッペンに一里塚の石碑があり、あとは草と灌木に覆われていた。

幾本かの細木は根元から切られていた。塚の手入れしていた人に偶然出会えた。

 

 塚の持ち主、「市から管理費を少々もらっているし、このままだと壊れてしまうので。」

と話し始めた。この塚は子供達の泥滑り台で、そのうちに塚は無くなる運命のようだ。

「そこの道が古中山道で、昔は荷車や人が沢山通っていた」と、爺さんの爺さんが話し

していた。とか、遠い昔を思い出しながら近くに大地主が居たなど話しは続いた。

     

 古中山道は工場の塀にぶつかり消えて、踏切を渡り中山道を「鴻巣駅」に向かって進んだ。

中山道の面影は残っていた。勝願寺の石柱があった。そこの路地に入り込んだ。

 

 広い公園だ。もう夕方近くで辺りは暗くなってきた。誰もいないのか静かさが不気味だ。

ブルーシートに覆われた巨大な仁王門を覗き込むと、首のない大きな仁王像があった。薄暗い

ところから声がした。「首は3月11日の地震で落ちてしまった。この機会に塗り替え工事をしているところだよ。」明かりも灯さないで一人でペンキを塗っていた。

 

 職人はさらに「この仁王像は秩父の三峯神社からこの近くの寺に移され、大正9年に寄贈されたもので、分解して荷車で運んだようだ。」とか。

2012/12/6



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