奥州街道Ⅱの旅

1:七北田宿


七北田宿・・仙台地下鉄南北線/八乙女駅

      泉区民ふるさとまつり(8月)

(昔話)・・桶屋の夢




〜仙台駅・・七北田宿(泊)


 宇都宮宿を出発から奥州街道仙台宿に到着したのは2年前の11月23日だった。

その後は去年の10月に今市を出て会津西街道を進み、4月24日に会津城に到着した。

 

 奥州街道は全長818kmと五街道で最長で青森県の三厩までとか、北海道の松前が終着点と言われる。

仙台宿から先は松前道と呼ばれ453kmあり、東海道なら鈴鹿峠に達する距離だ。

 再スタート地点は仙台市内、青葉通りの芭蕉の辻の石碑からである。

 

 芭蕉の辻は松尾芭蕉とは縁はなく、江戸時代に仙台城下町の中心だったとか。

黒い石碑には「江戸六十九次」「日本橋迄九十三里」と彫られている。

 

 青葉通りは「杜の都」の象徴であるケヤキ並木があり、空を覆い被すほど生き生きと枝を伸ばし緑の葉を茂らせていた。他で見られるケヤキ並木は竹箒のような惨めな姿が多い。仙台のケヤキも地下鉄工事などで伐採されたが、保存運動により現在の姿に戻った。

 

 日曜日の仙台駅は人で溢れていたが、3km離れた北仙台駅には人影もまばらになった。

北仙台駅からは小高い丘が現れて、丘の上に寺と神社が隣接している。

 

 丘に挟まれる道になり、高台は眺めが良さそうな住宅地区で緑も多く住みやすい場所だ。街道の名残はなくて、激しく通過する車の列だけだが、歩道が完備されて歩きやすい。

 

 道は北に向かい、地下鉄のガードを潜るあたりから街道らしい細い道に入った。

ガードの上は八乙女駅で七北田宿だ。牛タンを食す予定の場所は近く、見つけた店は日曜日の昼食時で長蛇の列があり、仕方なく牛タンはケンタッキーのチキンに変わった。

 

 スタートの辻から10kmは進んだようで、車が激しく通る国道4号線に出た。

高速道路のインターの近くに今宵のホテルがある。

 

 重たいザックを預けて旅を続けたいが、肩が麻痺したのか、それとも久しぶりの街道歩きで弱音を吐きたくないのか、そのまま5km先の終着点に向かうことになった。が、ここでの頑張りが翌日の旅に影響するとは思わなかった。

 

 国道4号線を歩き続けた。周囲の住宅は消えて緑の木々だ。駐車スペースを用意した小さな商店が並んでいた。牛タンのノボリが出ていた。昼に食べなかったので、と思ったが夕飯にはまだ早いし、宿は夕食付きで予約していた。

 

 歩き始めから17km地点を本日のおしまいとして、バスで戻る計画だった。バス停近くのコンビニにイートインを発見して、足休めとバスの時間待ちを狙った。

 コーヒーをじっくり味わって、気が引けそうな時間が経ち、更にバス停で30分間待つことになった。

5時を過ぎて寒い風が吹いてきた。

たっぷりと膨らんだザックからジャンバーを取り出した。

 

 日中の気温は17度程度の曇り空であった。歩きやすい温度だった。あと15分でバスが来るはずだ。

 

 空っぽのバスは4号線を右折して住宅地を進んだ。国道からは森に囲まれた場所だった。

住宅街の細い道を巡り始めた。バスは見知らぬ道を進み、果たしてホテルに辿りつけるかな。

2018/6/17


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