奥州街道Ⅱの旅

14:御堂


沼宮内宿・・JR東北新幹線/いわて沼宮内駅

      いわて銀河鉄道/いわて沼宮内駅

      岩手町夏まつり(8月)

(昔話)・・力太郎



<岩手川口>


<沼宮内宿>


<御堂>


盛岡〜下渋民バス停・・沼宮内宿・・御堂駅〜盛岡(泊)


 昨日乗車した記念館の手前(下渋民)までバスは途中の(岩手産業文化センター)で開催のグルメ祭りの参加者で満員だ。試食を狙った若者たちだ。

 

 バス停の前に(愛宕清水)の井戸だ。渋民宿の入り口に湧いていて、盛岡にはほかにも多くの湧水があるようだ。冷たくないがクセのない味がした。

 

 啄木記念館は休みだった。

トイレは使えそうだ。ポットン便所で個室内は便器だけで他に何もない。慣れない姿勢で足の筋肉が痛く立ち上がれない。力尽きたらお尻は便器の中へ。レスキュー隊を呼ばないとダメか。

 両手を広げたが壁に着かない。お尻が拭けない。どうすればピンチを脱せるのか。

体を前に倒して前方の壁におでこをつけ、手が使えた。帽子で頭を保護してジリジリ立ち上がった。

 

 街道から離れた場所に洒落た建物。壁面に万と久と読める文字の中央に赤丸に十の符号だ。

帰宅後に調べたら文字らしき物は(戸田久)、盛岡名物の冷麺やじゃじゃ麺を作る工場だった。

 

 2013年10月の下に奥州街道と大きく書かれた木製の立て看板、黒色のスプレーで描いたものだろう。6年を経過して文字は薄れたり。斜めになったものもある。

 巻掘姫神地区福祉推進会と柱に書かれてあり、集落を過ぎるまで数カ所で出会えた。

 

 歩道がシッカリした4号線を北に向かった。車は少なく2車線道路だ。直線道路は国道と別れてまだまっすぐに続いた。

 

 岩手川口駅の案内が出てきた。記念スタンプは駅員がいないだろうと諦める。

国道と再会したがすぐに分岐となり、街道は新幹線の高架沿いになった。

 

 東北新幹線のいわて沼宮内駅だ。

新しい駅で、裏手は山で、駅前に整形外科クリニックがあり、その裏に北上川が流れる。

 1階部分は広く催し物ができるようだが、めったに開かない場所で淀んだ空気が充満していた。

新幹線の利用者数は1日80人、平行するいわて銀河鉄道の利用者数は800人ほどになる。

 記念スタンプは2階の駅員室に保管してあり、一人しかいない駅員が大事に手渡してくれた。

インクの減り具合からスタンプ目当てで訪れる人がいるらしい。

 

 街道は山に挟まれ、国道になり、いわて銀河鉄道と新幹線が並行している。

時折、雨がぱらついて来た。

 

 ここはバスが通らないのかバス停がない。歩道に小屋だ。小屋の中にバスの時刻表があった。

屋根付きのバス停だった。

 小屋に入ると雨が降り出して来た。ザックカバーを装着してオーバーズボンをつけようとしたが、一瞬の雨だったので傘はザックにしまい込んだ。

 小屋の裏手に多量のバスが駐車していて、沼宮内のバス営業所だった。

 

 南の空に黒雲がやって来て、じきに本格的な雨になりそうだ。

急いで目標の(御堂駅)を目指した。

 

 小さな駅の待合室に人影。ストーブが点いていた。

一人は椅子に寝そべって足を床に降ろしているようだ。もう一人は壁を背に寄りかかり、待合室に入ると椅子に座り直した。外国人だ。連れは現地の人だ。二人ともザックを抱えている。

 いつの間にか本降りの雨になり、雷が一発だけピッカーと光った。

 

 「街道歩きですか。」と互いに声をかけ、電車が来るまで奥州街道で街道歩きに出会えるの初めてとか、二戸から歩き、途中でタラノメをたくさん採ったとか。フランス人でオランダ、ドイツを旅して来たようだ。

 話が弾み下り電車の到着に気がつかないで、慌ててホームへ駆け足で行ってギリギリに乗っていった。

2019/5/6


次は何処へ