日光街道の旅

5:中田宿・古河宿


(昔話)・・思案橋の弘法水



〜栗橋駅・・中田宿・・古河宿・・古河駅〜


 「木曽路はすべて山の中である。」で始まる島崎藤村の(夜明け前)ではないが、

今日は(つゆ明け前)の「日光街道はすべてムッとする暑さの中である。」が始りだ。

 

 利根川の橋を渡りきると国道は二手に分かれ、日光街道は国道を離れて土手を下る道になり、土手と直角に曲がり北に向かった。今までの街道とは違って幅が7mほど、平らでまっすぐな道だ。今は舗装されているが、江戸時代からの街道であろうか。

 

 もうじきお昼、ここらで食べないと昼メシ抜きになるような予感がした。

おや、手打ちそばのノボリを発見、土手のすぐそばだ。近くに桃公園があるはずだ。

 

 小さな店だ「いらっしゃい」と昔に華むすめに選ばれた綺麗な店員さんが現れ、クーラーを動かした。オー涼しい。テーシャツと膝までたくし上げたズボン姿が喜び始めた。

 

 「なんにします。」と歴史を刻んだメニューが出された。オヤジさんも出てきた。

ソバができあがり、食べ始めると、ここからオヤジさん話が始まった。

 

 「ここは中田宿ですが、川向こうの栗橋宿と一つに数えられていて、」と話は続いた。

明治4年には外輪船の汽船が渡し船として使われていた。それ以前は日光参拝の大名行列

の時は、船を横ならべて、そこに板の橋を乗せた記録があり、明治天皇も利用した。

 

 「今のような高い土手でなくて、昔の中田宿は河原にあったが、幾度も水害があり、ここに移転させられた。子どもの頃、街道は松並木があったが、戦時中に油が獲れるからと全部伐採されてしまったよ。」

 

 ここを襲った最大級の災害はカスリーン台風で利根川の堤防は決壊し、その後大規模な治水事業が行われた。

 

 さあ、また暑い街道歩きの再開だ。暫くは太陽が背中を照らし、オマケに南風が吹いてくる。日陰もない道をひたすら歩くことになり、尋常でない暑さで軽井沢からの中山道を思い出す。

 

 宇都宮線の踏切を越すと、小さい松が歩道に整列している。平成になってから松並木を復元したようだ。ここも2km程まっすぐな道が続いている。飛び飛びの松の木陰が少しは涼しくしてくれたようだ。

 

 古河駅の構内に本日の利根川の水位を示した大きなディスプレイがあり、さすがだ。

2014/7/21



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