日光街道の旅

7:小山宿・新田宿


(昔話)・・千駄塚



〜間々田駅・・小山宿・・新田宿・・小金井駅〜


 いつの間にか庭にネギの葉先の様な茎がヒューと伸びて、赤い彼岸花が咲き出した。

秋の臭いがするキンモクセイの風がそろりと吹いて心地良い日だ。

 

 日光まであと半分の距離になった。これからは駅の間隔が長くなって来たので、歩く距離もそれに合わせて長くなり、今日は6時間、18kmほど歩く予定だ。

 

 道路の近くに東北新幹線の高架を時折見かけたが、東海道新幹線のように次から次へと

列車は走ってこない。上りの列車が見えた。その姿が消えてから、ゴーという音がしてきた。いつもなら音とともに列車が走り去るので、おや、変だな。と思っていると。向かい側の古びた建物からガシャ、ガシャと凄まじい音がしてきた。ここでやっと携帯電話から緊急地震速報の警報音がした。

 

 アア地震らしい。東日本大震災と比べると時間も短いし、普通に歩ける程度の揺れ方だ。

電線が揺れている。道路の向かい側にあるカーブミラーがふわふわとまだ動いている。

なかなか止まらないので、あれは鏡の部分が重いのでしばらくは揺れが収まらなのだと思っていた。携帯電話に「茨城県で地震発生 強い揺れに備えてください」と表示がある。

 

 時間は12時28分だった。国道の車は何もなかった様に普通に走っている。壊れるような音がした古びた建物に隣接する事務所から数人が飛び出していた。直下地震型だった。

 

 お団子を食べたのが効いて、お昼を過ぎてからランチの看板を探し始めた。

午後の1時をまわり、店内にまだお客さんの姿があったので、ここならと入り込む。

先の地震はどうでした。と尋ねると、「凄かったですよ。被害はありませんでした。」

 

 また難読地名が出て来た。ここが(神鳥谷)で少し行くと(上三川)と(東汗)がある。さてなんと読むのでしょうか。これから行く(徳次郎)も難読だ。

 

 小山に到着した。小山は(小山評定)の地として聴いたことはあったが、この場所で家康が会津の上杉を討つべくここに到着し、このとき石田三成が家康打倒を企てて、あの関ヶ原の戦いがあり、家康が勝利したのだそうだ。

 

 小山評定跡の石碑があったが、果たしてこの場所なのか?

半袖姿では少し寒いが歩くのには最適で、今日は何にもなく、歩くだけだと思っていたが。

まさか、新幹線がストップしたり、在来線が遅れた地震があったのか。

2014/9/16



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