日光街道の旅

9:雀宮宿・宇都宮宿


(昔話)・・雀の宮

    ・・おしどり塚



〜雀宮駅・・雀宮宿・・宇都宮宿・・宇都宮駅〜


 突然、街道歩きの続きをすることになり、出来るだけ早く出発して、行ける所まで進む予定だ。だが、意気込みとは裏腹な天気で、雲が時々やってきて、午後3時頃から雨になる予報だ。

 

 雀宮駅の近くにある雀宮神社が、江戸日本橋から100kmの地点だ。今日はどこまで行けるかな。

 

 幅の広い道に変わると宇都宮市街に出た。右手に入るとすぐに日光街道の分かれ道だ。そこに錆び付いた(追分)の看板があるだけだが、江戸時代には大木戸が創られて、夕刻時になると閉じられて仕舞い、取り残された旅人はやむなく旅籠に泊まったようで、大きな宿場町であった。

 

 東に向かう直進方向が奥州街道で片側2車線の大通りになり、宇都宮駅前に出る下り坂になっている。

 

 さて、ここはかつて二回ほど全域が焼失している。

慶応4年(1868)の4月、戊辰戦争で土方歳三らが宇都宮城を落城し、このために宿場はほとんど焼けてしまった。そして、5日後にも官軍と旧幕府軍とが再び争いがあり、焼失した。

 

 さらに昭和20年7月12日に、133機のB29により、1万数千発の焼夷弾が落とされて、宇都宮駅を中心にほとんどが焼け落ちてしまった。

 また、雀宮駅付近にある宇都宮飛行場も終戦の二日前、8月13日に爆撃を受けた。

しかしその2年後には普及して、人口は十万人に達し、今は50万人を超えた。

 

 平和が続き、今はコンガリと餃子が焼かれている。餃子の消費量が日本一だとか。

美味しいだろうなあ。食べたいなあ。

 

 

 追分の看板を左手に入ると急に道は狭くなり、街道らしい雰囲気になってきた。

緑色に塗られた道路が歩行者を守っている様だが、中山道の狭い道よりも多少は広い。

街道沿いに崩れかけた土蔵造りの建物が残っていた。

 

 車道は丘を削った場所になり、両側が高くなり歩道があってそこに桜が植わっている。

 

予期した雨だ。少し早い出現で、屋根付きのバス停に駆け込んだときは本降りだ。

2014/10/20



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