〜日本橋・・品川宿・・川崎宿・・川崎駅〜
東海道には沢山の街道歩き屋がいるようなので、これからの新たな出会いと美味い物の発見が楽しみだ。
誰もいない銀座はピッカピッカの歩道、有名店が並び門松飾りの展示場だ。もしかして初出勤の振袖姿に会えると期待していたがまだ9時ではスーツ姿のお偉いさん達の挨拶回りが始まったばかりだった。
異国のような銀座を過ぎると何やら怪しげなお店が出現し、わずかな距離で違いすぎるのだ。
品川駅までは第一京浜国道の歩道歩きが続き、増上寺に向かう初詣の群れに遭遇だ。
暇そうな交番で旧東海道の道を尋ねた。「配属されたばかりなので。」と机に置かれた地図で勉強中だった。「駅の先を左に入ると旧道ですね。そこまでは箱根駅伝が走った道ですよ。」
品川から旧道に入ると道幅は江戸時代のままとか、狭くなり一方通行で車が時折通り過ぎた。
北品川商店街だ。七福神巡りの札をぶら下げたり、案内図を持った人達だ。ザックを背負った夫婦連れを発見、街道歩きですかと声をかけたいほど似合っている姿だ。
時々(旧東海道)を示す石柱が脇道の角にあり、これなら東海道は迷わずに歩けるかも。
旧道は国道と京急線と平行に進み、以前は海岸線近くの道だったようだ。
商店街を抜けたところにわずかな樹木と石碑があり、鈴ヶ森処刑場跡だ。
ここで200年間でおよそ20万人が処刑されたと記録されていて、火あぶりの刑で罪人を縛り付ける柱を立てた基礎石などが集めてある。日光街道でも小塚原刑場跡があった。
また国道の歩道歩きに変わった。商店街を歩いた時は家の日陰で日差しを気にしなかったが、幅広の国道は西に向かっていて、それに歩道も車が2台並んで走れそうな広さだ。
歩き始めはビルの陰で寒かったのが、都心を離れるとビルは低くなり、日が当たりだした。まだ1月の初めなのに春を通り過ぎた暖かさだ。エルニーニョ現象による暖冬なのか。
ついに羽織っていたジャンパーを脱ぎ、次にセーターを脱ぎ、ザックは満タンになった。気温はさらに上がり袖をまくる暑さになった。
日が暮れかかった頃に六郷橋にたどり着いた。ここで東京都から神奈川県に入る。今日の目的地(川崎駅)はすぐそこだ。
江戸時代には200mほどの橋が架けられていたが、洪水により流された以降は渡し舟になった。
明治天皇は船をつないだ橋で渡ったと絵入りの案内板があった。
現在の橋は500m、多摩川の流れだ。左の方角が川崎大師だ。初詣の人で溢れているだろうな。