東海道の旅

15:渡れた天竜川


(昔話)・・冷酒清兵衞



見付宿・・JR東海道線/磐田駅

     いわた大祭り(4月)

     



〜袋井駅・・袋井宿・・見付宿・・天竜川・・天竜川駅〜浜松駅・・浜名湖(泊)


 袋井駅から天竜川駅の区間15kmを歩き、天竜川駅からは宿のある浜松駅までJRで移動して、明日は浜名湖畔の宿から弁天島駅に出て、24km先の天竜川駅に戻る予定だ。

 

 袋井の駅前は幼い頃の消えかけた思い出を蘇るのは、記念のモニュメントがある場所が駅より少し高くなっていて、そこが路面電車の始発駅で木でできた踏み台を使って電車に乗った。

 

 運転手は電車から出て、紐が結ばれた集電ポールを引いて、進行方向とは逆側に移動した。ポールが給電線に触れるとパッチと音がしていた。紐は電車の後ろ側にくくりつけていた。

 

 駅から東海道に出る道に10月から始まる展示会のポスターが並んでいる。そこに路面電車の写真だ。昭和37年に廃線となり、その頃の集電はスライド式のパンタグラフに変わっている。

 

 7月15日の山梨町の祇園祭のポスターだ。太鼓が鳴っていた山車を思い出す。街道脇の川にも思い出が流れている。ザリガニがハサミを広げて、シジミもタニシもいる。一生懸命に採っていた。

 

 今度は太田川だ。小さい頃に遊んだ河原、冷たい流れ、堤防で鳴く虫の声が聞こえてきそうだ。太田川を渡ると木が茂った土の山道になって、持参していた熊よけの鈴を鳴らすほど薄暗い道だ。僅かな登りが終わると住宅地に出て、強い日差しに変わってきた。

 

 松葉を平らにしたような葉のイヌマキの生け垣だ。葉の隙間に1センチほどのコケシ型の実だ。秋になると頭の部分は黒くなり胴体は赤くなって食べられる(やんぞーこんぞー)が沢山あるぞ。

 

 思い出が詰まった袋井宿を抜けてると「見附宿」に入り、川にはコイが泳いでいる。

見附宿はこの付近から富士山を見付けたことから名前が付いたとか。

 

 明治8年に開校した日本最古の木造建築5階建ての学校を見学、木の机、椅子がまた懐かしさを蘇らせた。太平洋戦争では近くの浜松市街地が焼けたり、大きな地震があったが耐え抜いたのだ。

 

 磐田駅近くになって、雨がパラついてきて風が吹き出した。駅が直ぐそこなので旅を中断することも考えたが、しばらく肉屋さんの前で雨宿りになる。

 

 雨は小降りになり、予定の天竜川駅までの7kmは折り畳み傘を頼りに向かうことにした。

 

 天竜川は長野県の諏訪湖から流れてくる水量が多い急流である。

新天竜川橋に歩道がなくてペンキで区切った路側帯を歩くので昔は危険な街道であった。いまは平行した新しい橋に4m幅の歩道が付いて、歩行者、自転車専用道になっている。

 

 1kmほどの橋を渡ると土手を下り小さな神社を見付けて蚊に餌をやりながら一休み。そこは天竜川の渡し船の船着き場の跡だった。

 

 暗くなり、浜松駅から宿まではタクシーで行く事になった。「25分間は掛かりますよ。」とのことでその間にひと寝入りする予定が面白い話が続き、もう少し聞きたかったがホテルに到着だ。話は乗車している車がマニュアルであることから、オートマの事故はマニュアル運転者が原因とか

 

 金属の飛行機と船は乗りたくないとか、犯罪は環境が作る心理学まで幅と奥行きのある話だった。教授をしているのだろうか、運転が趣味だと言っていた。

2016/6/29


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