東海道の旅

17:二川のタイ焼き


(昔話集)・・白須賀昔話

     ・・二川南の昔話



新居宿・・JR東海道線/新居駅

     新居宿ゆかたまつり(6月)

白須賀宿・JR東海道線/新所原駅

     コーちゃんバス/白須賀幼稚園前バス停

     長谷八幡神社祭礼(10月)

二川宿・・JR東海道線/二川駅

     二川宿本陣まつり(11月)



〜新居駅・・新居宿・・白須賀宿・・二川宿・・二川駅〜豊橋駅(泊)


 雪がちらつきだした奥州街道は仙台で中断して、東海道に戻った。

 

 新居駅の横に関所跡があった。浜名湖を船で渡った旅人を厳しく取り締まっていたようだ。

雨は少ないが向風がものすごく、傘の柄を小脇に抱え、風に立ち向かう楯にして突き進んだ。幸にも街道は左に曲がり海に向かうことになり並んだ住宅が風を防いでくれた。

 

 もう10時になった。軽い朝飯から4時間を経過して、胃袋は昼メシを要求してきた。電柱広告に「タイ焼き」の文字を発見、500mほど先にあるらしい。

 

 軽い甘さの小振りのタイ焼きだ。店をのぞき込むと棚に焼き終えたタイ焼きが積んである。全部売れるのかと心配する量だが、店の前に車が止まりタイ焼きを買う姿があった。

 

 街道は枡形に曲がり、また西に向かう道になったが、右側の小高い山で風は弱まってきた。時折強い風が吹き付け傘を楯に。左側は数メートル下が田んぼでその先が遠州灘の海らしい。

昔は道の下まで波が来ていたのだろうか、松並木が現れ、道は上下をくり返して進んでいる小さな田んぼは雨を含んで水に覆われている。

 

 放置した田んぼに背の高い草が茂り、鈴なりの「フウセントウタ」のユニークな実を発見だ。道端に水仙が咲いていた。この付近は暖かいのか大ぶりなレモンが庭に実っていた。

 

 平らな道になれた足にはキツい上り坂だ。熊はいないだろうが森の中、久しぶりに呼吸が乱れる。海が見えた。東海道で一番眺めの良い場所、晴れていたら波の向こうに富士山が望めるらしい。

 目の前の急坂を下った所に食堂があるがタイ焼きのお蔭でキツい坂下りはやめたが、しかしそこから一時間ほど歩いたが、旅籠の残る街道筋に食堂は無い。昼時で誰もいない。

 田園地帯に出てしまった。

 

 小川が県境だ。東京都から神奈川県の境は多摩川、雪が降っていた箱根峠は神奈川県と静岡県との県境、そして短い橋を渡り、長かった静岡県と別れて愛知県へ入った。

 

 国道の向いにコンビニだが、店内で弁当を食べられなかったら地下連絡通路で雨を避けながら震えて食べることになりそうだ。500メートル先に食堂らしい建物を大発見して、急いで向かった。

 

 一面のキャベツ畑だ。収穫を待っている丸々としたキャベツ、キャベツだ。キャベツは中側から丸まって育つそうだ。外側は大きく幅の広い葉が四方に広がっている。

 赤茶けた土に小石が混じった畑、ズーと遠くまでキャベツが、その先に雪を被った山があった。キャベツ畑が終わり、二川宿に入った。

 

 狭い旧道が東海道だ。昔の道は籠と馬や旅人が歩くだけで充分広かっただろう。道の両側は旅籠が並んでいたようだ。いまは各家の玄関や塀の柱に小さな竹筒がぶら下げてあり、そこに花が飾れてある。色あせた(二川宿)のノレンがそこそこに下がっていた。

 

 二川と書かれた小さな土灯篭が店先に置いてある。江戸時代を大切に残している町並だ。

NHKの(家族に乾杯)のロケがあったとか、「商家駒屋」の土産物屋の話だ。

2016/12/27


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