東海道の旅

21:熱田ウナギの香り


(昔話集)・・知立の昔話

     ・・鳴海昔話



池鯉鮒宿・名鉄名古屋線/知立駅

     知立まつり(5月)

鳴海宿・・名鉄名古屋線/鳴海駅

     鳴海宿場まつり(11月)

宮宿・・・地下鉄名城線/伝馬町駅

     熱田まつり(6月)



池鯉鮒宿・・鳴海宿・・宮宿・・熱田神宮〜桑名(泊)


 夕食のコンビニ弁当が早めに消化したのか、広大なベットで熟睡したのか早起きしてしまった。今日は盛り沢山の訪問先を目指して、強い風が吹きつける街道を歩くことになりそうだ。

 

 宿からすぐに陸橋を越えて弁当を買ったコンビニ交差点で1号線を潜って街道に出た。

振り向くと松並木が残る街道があった。

 

 知立は以前は(池鯉鮒)と書かれて39番目の宿場になっていた。112年に創建された知立神社の門前町で東海道三大社の一つだったとか。

 

 街道は国道1号線を縫うよう進み3時間ほどで「桶狭間古戦場」に到着した。

戦国時代の1560年5月19日に(今川義元)と(織田信長)との戦いがあったとされる場所だが街道から離れた公園になっている所のようなので行かないのだ。

 

 (ありまつ)のノレンが家々に飾られている古い町並みが残る街道に変わった。もうじきひな祭りなので沢山のひな人形が板塀につるされたり、店先に並んでいる。「町並保存指定第一号」の場所であった。

 

 雛人形にもう一度働いてもらって居るとの観光案内所の話だ。有松絞りは400年続いていて、布を糸で堅く絞った場所だけ染められない特性を活かし、手拭いや浴衣のお土産があり、絞り染めの看板が出ている。

 おしゃれな軽食屋が有って「ここで食べれば良かったのに。」の声が直ぐ横でした。

 

 街道筋に名所旧跡があれば寄るが地図上では発見出来ないので到着してから「へー」と気付き帰宅してから調べて「アラー」となるのが街道歩きの面白さかもしれない。

 

 歩く方向が名古屋の中心街に向けて北になった。しばらくの間は住宅地が続いていて、時々現れる川を覗いてもまだ寒くて何にも居ないようだ。

 

 ブラザー工業の広大な敷地、編み機とかミシンの製造からプリンターやファックスまで広範囲に製造し、銀行やコンビニなどのATMを手がけていて、巨大なビルが街角を覆っている。

 また近くのビルに「ブラザー記念病院」の看板がある地元企業だ。

 

 気がつくと街道に(弥次さんと喜多さん)の道しるべだ。表面の絵は擦れているが頼りになる。低いビルの間を行くと幅の広い道路に突き当たり、近くの歩道橋を渡れの案内看板だ。

 

 風が吹き付ける階段をやっとの事で登るとウナギを焼く匂いが来た。アー食べたいな。道路脇の煙突が出所だ。歩道橋を渡ってからも美味しそうな煙が漂ってきた。

 近所の人は匂いだけでご飯を食べているのかな。

 

 東海道はここから渡し船を使った4時間の船旅になり、対岸の桑名宿に向かっている。

船旅は距離が7里有ることから(7里の渡し)と呼ばれきた。

 今は名古屋駅を経由する鉄道があって、乗り継ぎしながら1時間かかるようだ。

宮宿の渡し場は今では観光船の発着がある様で桟橋があった。

 

 渡し場の近くに(熱田神宮)が有り、お参りすることにして3つの鳥居を潜って本殿に向かった。

木が生い茂る幅広い参道には数人の参拝者がいた。5時を過ぎて薄暗くなってきた。

 

 JRの熱田駅は名鉄の神宮前駅から離れた場所だ。車内は帰宅する乗客で満員だった。名古屋駅は相変わらず私鉄からの乗り換えが難しい駅でJRを乗ってきて正解だった。

 これから(なばなの里)に立ち寄り、桑名の宿へ。

2017/2/24


次は何処の宿場へ