東海道の旅

22:力石は動かず


(昔話集)・・桑名の伝説・昔話

     ・・三重のむかしばなし



桑名宿・・JR関西線/桑名駅

     桑名石取祭(8月)

四日市宿・近鉄名古屋線/近鉄四日市駅

     大四日市まつり(8月)



桑名宿・・四日市宿・・近鉄四日市駅〜


 七里の渡しが到着する桑名の船着き場へは、朝日に向かって歩くことになり春の日差しだ。春はまぶしく、菅笠の代わりに地図をかざして旅を続けた。

 

 桑名の町は碁盤の目に整備されて、石の道標と壊れた街路灯が東海道を歩かせてくれた。

船着き場に伊勢神宮の一の鳥居があった。100km先に伊勢神宮がある。川の向こうにイルミネーションを見学した(なばなの里)を望めた。江戸時代は海だった所だ。

 

 これから船着き場に行く、と話してくれた一人の女旅人と出会えた。中山道が終わり、東海道は草津から歩き出して、今日は友人と陸路で宮宿まで行くようだ。

 

 街道に力石があった。大きい力石は動かない、子供用の力石に挑戦、20kg程度かな。

 

 相変わらず狭い街道は南西方向に伸びている。トイレタイムになり近くの駅を覗いたがなし。仕方なく駅前の東芝工場にお願いしたら、直ぐそこにコンビニがありますよ。とのことだが「間に合わないので」とお願いして助かった。コンビニは2kmほど離れた場所だった。

 

 昼飯時だが食事処がない。出がけに調べたら富田駅の近くに(イオン)があるだけ。イオンは街道から離れた所にあるので空き腹と3日目の旅の疲れでたどり着けそうに無い。

 

 食事処が駅前にあるのではと探し求めて、一軒だけ焼きそば屋があった。狭い店内に客が居た。昼食時になると次々に客がきた。土曜日だからかな。

 

 イカを混ぜた焼きそばがやっと出来上がってきた。450円では高かったがやむを得ない。少しの食事では四日市まで歩けないかもと、コンビニで購入したパンを食らった。

 

 車が来るたびにブロック塀に張り付いたり、庭先に入り込んだりして狭い街道を行くと、桜の並木がある広い道になり、土手を登り橋に出た。北の方角に雪が観られる鈴鹿山脈だ。

 あの左端がこれから行く鈴鹿峠になる。山脈の向こう側が琵琶湖だ。京都は近いかな。桑名では遠くに見えた四日市の煙突群は南の方角になって白い煙を青空に流している。

 

 橋を越え、一休みだ。

街道歩きの夫婦連れがきた。千葉に住んでいて行った来たりの街道歩きの最中とか。お金と体力がありそうな旦那と、ひ弱そうな奥さんだが。

 中山道と甲州街道は沿線に鉄道が少ないのでツアーを利用したが、東海道は自力歩行とか。自慢げに小田原から三島まで箱根を一日で越えたとか。昔山をやっていたので30〜40kmは行ける話だが、奥さんは渋々付き合っている様子がうかがえた。

 今日は亀山まで行ってあと2回で京都に出ますよと、早足で去って行った。

 

 我々は見学したり休んだりのノンビリ旅だ。先ほどの旅人は若そうだった。連れが昨日の長旅で足を痛めてしまい速度が落ち、休憩が増えだしたが、帰りのバスに乗るには四日市駅に急がないとならなくなり、痛みをこらえて必死に歩き出した。

 外反母趾が原因のようだ。つま先を使っていないので膝にストレスがきて痛み出したのか。

東京駅到着時は痛みがピークになり歩くのがつらそうだった。

 

 名古屋駅は土曜日で混雑していた。近鉄駅から高速バス停は何処なのだろう。複雑に入り組んだ地下街を案内板をたよりに進み、弁当は買えたが、トイレはどこだよ。

 

 乗車時刻ギリギリにバス停に到着した。満員で出発だ。明日の東京マラソンで走る若者達らしい。

 

 ウナギと海苔の匂いが車内に充満して悪いが(ひつまぶし弁当)を食べ、ひと眠り。

バスは静かで揺れも少なく、新東名高速道を走り予定時刻に暗くなった東京駅に到着した。

 

 来月は東京からバスに乗車する予定だ。時間は掛かるが新幹線料金の半額は魅力だ。

2017/2/25


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