東海道の旅

24:潜り戸にガツン


(昔話集)・・亀山地域の昔ばなし

     ・・関宿の昔話

 



庄野宿・・JR関西線/加佐登駅

     庄野宿ホタルまつり(8月)

亀山宿・・JR関西線/亀山駅

     亀山祭

関宿・・・JR関西線/関駅

     関宿祇園夏まつり(7月)



〜石薬師バス停・・庄野宿・・亀山宿・・関宿・・関駅〜


 昨日のバス停まで戻る方法が二つあった。

駅前からバスで直接行くか、レール間が新幹線の半分と狭い軽便鉄道の電車で行く方法がある。

 日本に3箇所だけ走っている軽便鉄道に乗車する機会なので電車の終点まで行ってからバスに乗り換えることにした。

 

 (あすなろう鉄道)の車内幅はバスよりも狭く、前の人の膝に付きそうだ。3両編成だ。ラッシュ時間だが立ち乗りしている人はいない。ユサガタ揺れながら進んでゆく。

 

 6km弱を20分間で終点に着いた。後からくるバスを待つ間に便所を拝借したが、「汲み取り式で落し物をしないでください。」の注意書きだ。便壷に沈んだら取り出しても使えないかも。

 

 国道から外れて古い建屋が残る(石薬師宿)を進む。ここは歌人の佐佐木信綱の生家があり、沢山の立て札に有名な短歌が描いてあった。父親の事とか自然を描いた歌が多く見られた。(若草の岡の小道の春風に乱るるも良し君がくろ髪)

 

 宿場を過ぎると田園地帯に入る下り坂だ。

川と道路が入り組んでいて案内看板は右に、地図上では直進して土手に出たらで右に行けだ。どちらも右だから地図を信じて、鈴鹿おろしが吹き付ける道を進んだ。

 

 庄野宿に入った。

資料館でトイレを借りたいが、(10時から開館です。)の看板、あと5分だが間に合わないので戸を開いて声をかけると奥から声がした。

 

 掃除中だったらしくバケツを持って出て来た。「どうぞ」とその時、「ガシン」と鈍い音が後ろでした。

連れがおでこをさすっていた。玄関口とトイレがある中庭の間のくぐり戸にぶつけたか。

 

 高さの低くい入口で、敷居が地べたから15センチほど、それを跨いぎながら頭から入るが、足から入るとぶつけてしまう。挨拶しながら入れば通過できるが、敷居を気にしているとぶつかる仕組みで、「頭に注意」の看板がくぐり戸にあるのだが、見ないで通過したのだろう。

 

 痛い体験と反省をしたはずが。

 出る時も再び「ガシン」だ。「敷居が高いのよ」と文句を言っていたが、注意書きを見なかったのか。

「ぶつける人が多いんですよ」と慰めてくれ、古い高札の説明、家を街道から奥に移動したとか。

長めの話は続き、街道に出て写真を写してくれた。

 

 向かい側の歩道に旅人発見。手で京都方面かと示すと気がついてこちらにきた。江戸を出て10日らしい。百番目の一里塚を過ぎたので400kmは来ている。彼は飛脚か1日40km走って来たのだ、我々の倍の距離だ。話によると永年勤続で長期休暇がとれて走っているとか。

 今日中に鈴鹿峠を越えるが、宿がとれていないのが心配とか。

ゆっくり見て歩きたいですね。人と会って話をするのが好きなのですが。と言って走り去っていった。

 小さなザックに東海道の地図が括り付けてあった。

 

 鈴鹿峠の入り口、関宿に到着だ。

坂道が続く街道は昔ながらの旅籠が並んでいる。車は来ないし、お土産屋はない。電柱もない。数組の観光客が街道を散策しているだけだ。

 

 中山道の観光化した宿場と違い賑わいはない。マゲ姿の旅人がいても違和感のない宿場だ。

 関宿に入る手前に長椅子が置かれた小さな公園があった。風が吹き付けていたが休みたい。座ってから気がつくと木の幹に(セアカゴケグモがいます。注意してください。)とあった。

 

 慌てて立ち去り風のない場所へ移動だ。

2017/3/24


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