東海道の旅

25:大津でハゲ増され


(昔話集)・・京都府の昔話



大津宿・・JR東海道線/大津駅

     びわ湖大津マザレ祭り(7月)

三条大橋・京阪線/三条駅

     京の七夕(8月)



〜大津駅・・小関峠(204m)・・西国番外寺・・三条大橋・・大津駅(泊)


 4月に予定していた鈴鹿峠越えがインフルエンザと風邪引きで取りやめになり、5月予定の京都行きを先にすることにした。

 

 中山道で草津から大津までは歩いたし、大津からは別ルートの小関峠を越えで京都に向かうことにした。

松尾芭蕉が小関峠を越えた記録があり、今はクマさんの目撃情報がある峠道だ。大津の街はすぐに木が茂る山道になった。

 

 時折来る自動車とクマさんに気を付けながら、ウグイスの声に誘われて峠を登った。峠道で散歩中の二人の老人に出会えた。こちらも老人の二人連れだったのを忘れていた。

 

 琵琶湖側の三井寺から京都の間をトンネルで結んだ琵琶湖疎水の道を歩いているようだ。

もう一人は90才を超えていて近くを周遊しての散歩中だ。クマはいないとのことだが本当かな。昔の道は狭い山道で人一人が通れるほどだった。舗装され車が通るが静かな道ですよ、との話だ。

 

 峠の頂上に小屋に納められた小さな地蔵。峠道の奥に放置されていたのを安置したという話だ。ここからの下り道はだらだらと続き、疏水方向を示す道標があった。京都山科の街並みが望める。その道を入らないで真っ直ぐな広い道路を下ることにしたら自動車道に出てしまった。  

 

 自動車道の下をくねくねと曲がり、道標があった峠からの下り道と合流した。

 

 東海道本線と京阪京津線を横切ると旧東海道で通称(旧三条通り)に出た。3年前に歩いた街道だが忘れていた。起伏の続く道路に面したお店の看板で記憶が蘇ってきた。

 

 (山科地蔵)の六角堂に雨よけの屋根と椅子が用意されている場所だ。以前もここで一休みしたところだった。杖をついた老人がやってきた。

 

 これから三条大橋まで歩くと話すと、「冗談でしょう。あそこまで二つの峠を越えないと行けないよ。私ならタクシーで行くよ。60年前から近くに住んでいて毎日散歩して足が衰えなようにしているんだ。102歳になるよ。」峠で出会った老人よりさらに高齢の人でびっくりだ。

 

 東海道から離れて西国巡礼の番外寺にお参りに立ち寄る。西国巡礼は33ヶ寺の他に番外寺が3ヶ寺あり、これで西国巡礼は満願になった。

 

 三条大橋は観光客でごった返している。弥次喜多の銅像周辺は綺麗になっていた。

外人観光客が次々と来る。三条大橋から四条大橋に出て八坂神社をお参りして(ギオンコーナー)で伝統芸能のショーを外人さんに混じって見学し、日本の芸能である(雅楽、狂言、京舞)などが次々と披露された。

一時間ほどだが中身の濃い内容だった。初めて観たが日本の芸能文化はすごいや。

 

 京都三条大橋に中抜きだが無事に到着した。その記念の夕食は祇園にある(しゃぶしゃぶ)の元祖の「十二段屋本店」だ。財布と相談してステーキなら食べられそうなので暖簾をくぐった。近くにある「十二段屋」は長蛇の列でものすごい人気の食堂だが、本店は静かで誰もいないようだ。

 

 二階の狭い部屋でのコース料理だった。甘い脂身の京都牛だそうだ。アイスクリームも美味かった。

フスマや壁の大胆な絵は彫刻家の(棟方志功)が描いたものとか。

 

 大津のホテルは駅前だ。和室が付いた部屋で、浴室との段差がないのも快適だ。チェックインの際にペットボトル入りの水をくれたが(ハゲます水)であった。

 

 ハゲていると割引しますとの看板、それならと頭を見せたが「まだだめ」の一言あり。残念だ。

2017/6/17


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