東海道の旅

28:再びの草津宿


(民話)・・あおばなの起源説話



石部宿・・草津線/石部駅

     石部宿まつり(10月

草津宿・・JR東海道線/草津駅

     草津宿場まつり(4月



甲西・・石部宿・・草津宿・・草津駅〜


 先に大津・京都間を終えたので、隙間の関宿と草津宿を埋めて東海道は踏破になる。

草津宿と大津宿間は中山道ですでに歩いたので取りやめにした。

 

 狭くて危険がいっぱいの街道歩きが始まった。およそ13km先の草津駅の終着点まで続いた。

朝の出発を遅らせたのでラッシュは終わり、街道を突進してくる車は少なくなった。それでも耳をそば立てて後ろから来る車を探知して路肩に逃げ込む体制は続いた。

 

 石部駅前に出てまず一休み、2日間の足疲れよりも狭い街道疲れが続いている。

 

 線路脇の街道を行くと歩道がなくなり、大型ダンプが走る道に変わった。仕方なくガードレールの外側の草むらを進むことになった。草が削れている場所があり人が歩いた跡らしい。

 街道はどこに行ったのだろうか。道を間違えたか。左手に小山があるがあそこが街道なのか。

帰宅して地図で確かめると、上道と下道の2コースに分かれて2kmほどで合流している。

 下道は野洲川沿いのために氾濫が度々あり、山を通る上道ができたようだ。

 

 民家の脇に東海道の看板を見つけ、安心して歩を進めた。

六地蔵の地区に入った。大きな屋敷があり予約すると見学できる(旧和中散本舗)だ。街道に面した間口の広い商家で、薬の製造販売を商っていたとか。

 

 田んぼの中に住宅が出てきた。高速道路が見えてきて草津の街が近いようだ。

ここにも小学生が集まって説明を受けている。シーボルトが立ち寄った善性寺のようだ。メモを見ながらガイドのおじさんが説明していた。どんな内容なのかと気になり足を止めた。

おじさんもこちらの姿を気にしているようだ。

 

 シーボルトはスパイ容疑でオランダに送り返されたが、日本の奥さん(お滝さん)の名前をつけたアジサイの花があるが、ガイドさんに悪いので黙ってそこを去った。

 

 街道は土手にぶつかり右に曲がった。しばらくの間は土手沿いの街道をゆくと国道1号線に出てそれを渡るところで道を間違えた。

 

 草津川は移設されて、天井川は改修中で、中山道の合流地点は左に入ると記憶していたが、土手を登った先は桜並木になり、これは東海道とは方向が逆で間違いだった。

 

 元の道の戻ると小さい案内板があった。東海道はもう少し先を左には入れと書かれていた。東海道の案内はない。覚悟を決めてゆくと土手の上に出た。川はなくて公園になっていた。

 

 水のなくなった橋を渡り、街道は右に降り土手の下を進んだ。草津宿に到着だ。大きな追分道標の石灯篭に再会し、これで東海道の長旅は終結できた。

 

 天井川のトンネルと商店街を抜けて草津駅に向かう。

 

 思い返すと東海道は江戸時代のままの狭い道路が多くて安心して旅を楽しめなかったようだ。美味い思い出は由比の桜エビ、豊橋のカレーウドンかな。歩きの思い出は大雨の箱根山下りだ。

 

 景色の思い出はなんだっけかな。道中記を見て思い出すことにしよう。

2017/6/27


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