奥州街道Ⅱの旅

2:富谷宿・吉岡宿


富谷宿・・・宮城交通泉ヶ丘大富線/富谷バス停

      富谷市 街道まつり(10月)

吉岡宿・・・宮城交通泉ヶ丘大富線/吉岡営業所バス停

      島田飴まつり(12月)



<富谷>


<吉岡>


七北田・・富谷宿・・吉岡宿・・三本木宿(泊)


 ホテル前を通るバスは8時40分が始発だと思い遅い出発になったが、バス停の時刻表には7時ごろの

別経由があり、それを見逃してしまい急ぎ足の旅になってしまう。

 

 昨日のバス停からすぐに4号国道と別れて右の街道を進んだ。

富谷宿だ。狭い街道を直進すると熊野神社があり、そこを右に折れた。狭い路地に(恋路の坂)と書かれた常夜灯があり、本陣跡や造り酒屋が街道の名残を語ってきた。

 

 街道は左に折れて富谷宿の出口らしい。正面の建物の庭を公開しているようだが門は閉ざされていた。

御所橋と書かれた川を越すと坂道になり、出会った人に道を尋ねると車での道を教えてくれた。

道は二股に分かれていて左が奥州街道のようだ。

 

 街道は4号国道の合流地点になり、近くのバス営業所でバスの情報を聞くことにした。

丁寧な対応を受けている時に街道歩きと思われる二人ずれが視界を横切った。赤色のペアルックだった。4号線に出た時はその姿は消えていた。

 

 国道は田園地帯になり、遠くにヨークベニマルの看板を確認できたが2km先だろうか。

昼時ではないが早めに昼食にして、朝に着込んだ冬用の下着を脱ぐことにした。蒸し暑さからは解放されたが荷物は重たくなった。

 

 まだ二時間6kmしか歩いてないが右膝が痛み出した。昨日の歩きで左足を庇って無理したのか。

吉岡宿の入口を早く左折したので枡形の道で迷子状態だったがどうにか街道に出られた。

 

 元禄時代に創業の薬屋で街道を確かめると「この道を行き、右に曲がる」と教わる。

無理やり坂道を下ったところで痛みを我慢できなくなり、鎮痛スプレーで膝を冷やしたが、効き目はいっ時だけで、田んぼ道になった街道を左折したところでまた休憩になった。

 

 このままの状態であと15km進まなければならない。終点は三本木宿のホテルだから時間を気にしないでボチボチと休みながら行くことにした。

 

 長い上り坂を行くと突然に大きな工場が現れた。トヨタ自動車の工場らしい。本来の街道はその工場の中を通る道のようだった。

 

 工場前に農産物販売所があり、スイカ辺を食して膝に喝を入れる。

道は嫌な下り坂で突き当りを曲がり、熊が出そうな森の道をゆくと(奥州街道跡)の標識がある。

また下り坂だ、一歩一歩に痛みがくるのでエッサホイサと声を出してしまった。

 

 東北自動車道で街道は消えて、廃道です。の標識が示してあり、時々来る車に気をつけながらの道で、街灯があり、道の右側に金網が張られ、立ち入り禁止の立て札と距離表示がある。

潅木に覆われていて、高速道路の側道で遥か下から車の轟音がやって来た。

 

 道は三本木パーキングエリアを迂回して、街道に出たようで珍しい一里塚跡の木柱がある。

下り坂になり広大な大崎平野が現れた。

 

 さらに坂を下り、鳴瀬川を三本木大橋で越せば2km先にホテルだ。

三本木宿が残る町中を進む予定はやめて、早くホテルに着きたいので4号線の歩道を進んだ。

外国の簡易宿泊施設かパチンコ屋かと思われた不可解な建物がホテルだった。

 

 2階建で細長く、エアコンの屋外機と窓が規則正しく繰り返し、プレハブかなと思ってしまった。

部屋は狭く二部屋をつないだツインルームで、不気味に広くて暗い食堂に恐怖を感じた。

10時間歩いてしまい、43000歩、ゆっくりだったが23kmになった。これでは痛くなる。

2018/6/18


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