奥州街道Ⅱの旅

26:油川宿


油川宿・・・津軽線/油川駅

蓬田村・・・津軽線/蓬田駅

(伝説)・・・油川の由来

(民話集)・・蓬田村の民話伝説・他



<蓬田>


青森駅〜油川駅・・郷沢駅〜青森駅(泊)


 油川駅からは松前街道(奥州街道)の国道280号線を北の三厩に向かって行きます。

街道の右側に青森湾、左側は津軽線と280号線のバイパスが走り、新幹線の高架橋があります。

街道の両側は住宅地で道路側はブロック塀がほとんどです。

津軽線の線路沿いは田んぼになり、小高い山まで続いています。

 

 朝の津軽線は2両編成で車内は青森駅から乗り込んだ通学の生徒でほぼ埋まっていた。

次の油川駅まで5分間、学生たちは全員降りて近くの高校に行くようだ。車内に数人残っていた。

 

 ホームの待合場所にあった網について駅員に聞くと「雪よけですよ。」

駅周辺には風雪を防ぐ林や柵がないので代わりに網があるが2メートルの幅ではわずかしか立つ場所がない。大勢の学生は風雪に耐えてホームで待つのだろうか。

 

 駅近くのコンビニで昼のオニギリを買い、北に向かい歩きだした。

狭い歩道はなくなり、表面に滑止めの凹凸があるコンクリートの蓋と格子状の鉄製の蓋が所どころにあり、 鉄製の蓋には取っ手が付いていて、積雪があると蓋を開けて集めた雪を側溝に流すのだろう。

 側溝の幅は60センチほどで道路の両側にあり、平で歩きやすい歩道である。

車道との段差はなく、白線が歩行者と車を分けている。

 

 一時間歩いたが民家の連続で飽きてきた。右の海岸に道があれば海を見ながら歩きたい。しかし海に出られる道は玄関先を通る庭先だ。空き家らしい庭を見つけて海岸に出た。

 

 綺麗で静かな波が寄せる防波堤が続いている。

海の反対側は狭い道路になっていて、時々軽トラが走ってきた。

 

 正面に大きな島か。進むにつれて島に近づいていて細かいところが見えてきた。

島の右端は水平線に消えていて、その手前は夏泊半島の山並みのようだ。

島と勘違いしたのは下北半島だ。広い陸奥湾で半島の付け根は水平線に隠れていた。

 

 防波堤を遮る小屋は海に面して、薄暗い小屋の中にホタテ貝を捕る漁船が引き上げられている。

小屋の手前に貝を育てる網がうず高く積まれ、50センチほどの浮き玉は役目を終え、春の準備でこびり付いた貝を剥がす作業が小屋の外で行われている。

 

 ホタテ小屋が数件並び、防波堤が続いて、またホタテ小屋だ。この風景はずっと繰り返した。

稚貝を育てる施設があった。ホタテ貝は数年間、網に入れて海で育てる手間のかかるホタテ漁だ。

 

 側溝蓋の街道歩きに戻り、昼飯が食べられる場所を探したが、コンビニはないし、防波堤は冷たい風が吹いている。そばを走る津軽線の左堰駅なら椅子とトイレがあるかもしれない。

 

 踏切を越すとすぐにホームに上がる階段で、その先に待合室があった。ベンチがあった。雪よけ柵がホームを守り、柵に沿って小道があり、刈り取りを終えた田んぼが続いていた。

 

 油川駅からおよそ20kmは来ただろう。4時半ごろに郷沢駅に到着して、青森駅へ戻る事にした。

青森駅ホームでは柱に取り付けた大きなリンゴを見つけ駅員さんに聞くと「連絡用の電話です。」とリンゴを上下に開ると中に電話機があった。雪よけを兼ねたリンゴ型ケースは拍手ものだ。

 

 駅近くに(ねぶた)の展示場「ワ・ラッセ」があった。

テレビで馴染み深いが現物を身近で見られる施設で、祭りで優勝したねぶたが展示されている。

薄暗い展示場に数台のねぷたが鮮やかな姿を浮き上がれせている。

 骨組みに和紙を貼って、色付けして、内部から蛍光灯やLEDランプで照し出し仕組みだ。

幅が9メートル、高さ5メートル、奥行き7メートルほどの巨大なオブジェで、内部に大型発電機が組み込まれ、5トンほどのねぶただった。

2019/10/15


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