奥州街道Ⅱの旅

13:渋谷宿


渋谷宿・・いわて銀河鉄道/渋民駅

     啄木祭(6月)

(昔話)・・姫君伝説



<渋谷宿>


〜盛岡駅・・渋谷宿〜盛岡(泊)


 富士山に似た長い裾野の岩手山がすぐそこあった。青空に真っ白な残雪だ。雲ひとつない。

雨で消えていた山並みが間近にあった。2000メートルを越し日本百名山に含まれる。

 ついでに難読漢字の不来方(コズカタ)が盛岡となる前の名前とか。

 

 再スタートは盛岡城からであるが、城には寄らないで近道から歩き始めた。

駅から2kmほど、ドラックストアーの長椅子で靴紐を締め直し、隣に来た人に声をかけるとあの地震の時に津波が首のあたりまで来たとの経験談を聞き、橋の上にいたら車が数台あって運転手に車からすぐに出るように指示し5人でスクラムを組んで波にさらわれないで助かった。

 盛岡市内は地震の揺れの被害程度で、家族は市内に住んでいたとのこと。

「啄木記念館ならバスで行けるよ。」と来た道を示してくれた。歩きでと答えると怪訝な顔に。

 

 バスが来た。中古なのかボディの塗装がめくれ錆が出ている。北上駅で沢山見かけたバスだ。

全国から集めたバスを再利用していて見かけよりも走れば良いのかも。盛岡市内では錆つきのバスはあまり走っていない。

 

 市街地を抜けて桜がまだ残る公園はたくさんの親子連れでワイワイ賑わっている。

住宅地になり、歩道は広くまっすぐで長い上り坂が続いた。自転車を押した子供がいた。

 

 四十四田ダム近くに街道があるようだが谷と住宅で見つからずバス待ちの人に聞くと、スマホで検索しだし電波が悪いなと出てこない様子で。「坂を下りと右に行ってください。」

 道を入るとどん詰まりの住宅地、庭を手入中の奥さんに「どこか下にゆく道がありますか。」

「隣のうちの脇から出るとウドン屋がありますよ。そこが街道です。」

 

 登りカーブが続く狭い街道が現れた。一万体の木彫り仏像を無造作に飾った小さなお寺だ。

右側の丘の上は住宅地で、左は林で遮られているが北上川のダム湖、四十四田になる。

 

 わずかな上り下りを繰り返しながらダム湖に沿った道を進んだ。心地いい風が後ろから吹いた。

鶯の声。「ウグイスは鳴き方を誰から教わるのかな。」(ホーホケッケキョキョ)「まだまだだよ。」

 

 タンポポ畑。色濃い青紫のムスカリの列、庭に赤、白、黄のチューリップが花盛りだ。

枝垂れ桜も八重桜も負けないで咲いている。ツクシがいっぱいの畑だ。まだ春の真っ盛りだ。

 

 モーやだあ。ダラダラの上り坂で海抜257メートルへ。今度は下り坂。汗で顔が塩辛い。

狭い自動車道は右に曲がり、街道は平らで直進。高原地帯で北上川が木立の向こうに流れる。

周囲は小規模の牛舎だろうか、独特の匂いが漂っていた。秋に丸めた飼料が積んであった。

 やっと見つけた集会場の椅子に座り、岩手山の雪を見つめ、あそこは涼しいだろうな。

 

 川を越すとまた上り坂が待っていた。

工業団地のはずれでやっと見つけた自販機で五本目を買い、冷たい麦茶でグイと喉を潤す。

 

 バス乗り場がある石川啄木記念館は近いが、手前にバス停があった。盛岡駅行きのバスが来る時間だ。記念館まで進まないでバス待ちにした。

 

 40分間ほどのバス旅、北海道かと思わせる広い道路、カラマツ林、牧場が点在している。

 

 盛岡名物の多量のワンコそばを食べる自信がなく、冷麺に挑戦した。冷麺は冷やし中華の親戚かと思っていたら、歯ごたえがシッカリした丸型麺で食いちぎれない。

 辛さは自由に調整できる物を選んだが、小鉢のキムチを入れたが思ったほど辛くはないぞ。

スイカの切り身、ゆで卵、牛チャーシューなどを乗せた味が素晴らしい冷たい麺であった。

2019/5/5


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