奥州街道Ⅱの旅

11:石鳥谷宿・日詰郡山宿


石鳥谷宿・・・JR東北線/石鳥谷駅

       石鳥谷まつり(9月)

 

日詰郡山宿・・JR東北線/紫波中央駅

       日詰まつり((9月)

(昔話)・・黒岩の蛇石



<石鳥谷宿>

 


<日詰郡山宿>


花巻宿・・石鳥谷宿・・日詰郡山宿〜盛岡(泊)


 昨日は桜見物を含めて4万3千歩で28kmになった。今日の予定は盛岡行きのバス停まで25kmの予定だが、空模様は購入したての傘の出番はなさそうでザックの後ろに吊り下げられてブラブラしていた。

 

 たまにくるジェット機を見ながら花巻空港の端まで進むと、ゴーとエンジン音がしたが低く垂れた雲に消えてしまった。

 

 二時間ほど国道4号線の直線が続く歩道を車の轟音と共に歩いてゆくると、国道は左に曲がり、奥州街道はまだまっすぐに進んでいた。

 

 家の立ち並ぶ一角に郵便局だ。記念にスタンプをもらいに立寄り、ついでに町の名前について質問したら、パソコン検索したプリントを渡された。「石・鳥・谷」と書いて(いしどりや)と読ませる。

難読漢字だ。プリントを見ると呼び名の変化は(ニシダァ>イシダァ>イシドヤ>イシドリヤ)で

 江戸時代は(イシドヤ)と呼び、石が多い湿原地帯が由来とか。漢字名は(石・処・湿地)明治26年に石鳥谷駅が開設され、昭和3年に町名が「石鳥谷」になった珍しい場所だった。

 

 トイレはどこだ。この先にコンビニとドラックストアーがあるようだが、間近にスーパーが出現した。

食事が出来そうなテーブルと椅子があり、昼はまだ先だが店内で買った軽食で済ませる。

 

 街道から300mほど入った石鳥谷駅に難読の由来が見つかるかもしれない。

ストーブが灯る待合室。日中だけ駅員がいる東北線の駅。駅名の由来看板が据え付けてあった。

 

 再び直線の街道を行くとまた4号線か。左に桜並木だ。小学生の群れが歩道で遊んでいた。

立て看板に「五郎沼」とあり、立ち寄ることにした。細長い沼で周囲に桜が植えられて、見物客が次々とやってきた。

 古くからあるため池で人柱を埋めた伝説が石碑にあるようだ。

 

 1kmほど進むと遠くの丘に桜がたくさん咲いているようで、期待しながら進んだ。また、4号線と別れて、再び直線街道になり、道はカーブして日詰の町に入った。

 運動公園があり周囲は桜だ。右下に枝垂桜が見慣れた桜色よりも濃いピンク色を誇っていた。

坂を登りきると日詰の宿場に入る。

 

 煉瓦造りの豪邸が町の入り口になり、向かいの和菓子屋に尋ねると「平井邸で、国が管理していて月に一度ほど内部を公開しているようですよ。」

 商店街になり、銭形平次役の北大路欣也の手形のガイド盤があり、日詰との関係が気になる。

 

 4号線に盛岡行きのバス停だ。予定のバス停は次でまだ時間はある。4号線の歩道を進んでバスを待つか、旧奥州街道に出て2km先まで行けるか迷うところだった。

 

 街道に曲がると正面の小高い丘が城山公園で満開の桜で埋めくされている。次々に車が桜が咲く公園の坂を上っていった。

 街道は公園を巻く道になり、桜は住宅の屋根越しになった。桜は見飽きてしまいモーいいや。

地元の人に会えたので沿道の木について尋ねると「リンゴです。桜が終わると花が咲きますよ。」

 

 4号線に戻ったがバス停は近くにない。歩道を来た人にバス停を聞いたが「知らない。」の一言。車を使っている人はバス停を知らないらしい。近くのガソリンスタンドで聞いた。若い店員は困ったのか、店長らしい人が来た。「すぐそこで、もう少し先のマンションの前にありますよ。」

 

 すぐそこが1kmは来てしまった。

バスはまだのようだが、手前から心配になりいつもの駆け足旅になっていた。

2019/4/25


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