奥州街道Ⅱの旅

10:花巻宿


花巻宿・・・JR東北線/花巻駅

      花巻まつり(9月)

(昔話)・・花巻物語事典



<花巻宿>


〜北上駅・・景勝地・・花巻宿(泊)


 旧奥州街道は宇都宮を起点にすると全長が707kmあり、北上(黒沢尻宿)で391kmになる。

終着点の青森県三厩まではあと319km、東海道なら日本橋から名古屋付近の距離だ。

さて、これからも長い旅が続くので、往復の交通費が問題になり、そこで節約のために新幹線の利用は片道だけにして旅費が3割程度の夜行バスを利用したい。

 

 眠れるからと用意した薬の効き目はなく、下車した北上駅の寒い朝に目覚めてしまった。

駅前のホテルで朝食、早速桜が満開の展勝地に向かう。中国旅行客の一団も桜見物だろう。

駅から1kmほどゆくと桜並木と北上川をまたぐ鯉のぼりが目に入ってきた。

 

 老木の桜が満開で幅10mほどの散策路(桜大路)に覆いかぶさるように見事に咲いている。川べり2kmほど続く並木は誇らしげな太い幹に支えられ圧巻だ。この先にも桜は続くらしい。

 

 いよいよ奥州街道歩き旅の5ヶ月ぶり再スタートだ。

本通りと名付けられた歩道を北に向かい、東北線を越して住宅地を進む。

 

 奥州街道で完全な姿で残る二子一里塚だ。日本橋から128里、盛岡まで11里の場所だ。

川に近づくと道はトロトロと下り坂になり、橋を渡るとダラダラの登り坂を繰り返した。

 沿道でタンポポの黄色い花とツクシが背比べしていたり、初めて目にしたツクシの群落だ。

 

 村崎野駅に到着した。7時に食べてからすでに五時間を経過していた。少し早いが昼飯だ。

駅の隣の定食屋は数人の客がいた。500円の味噌汁付きハンバーグランチを注文だ。

食べ終わる頃になると混んできて、皆さんも同じランチを頼んでいた。

 

 坂を登ると周囲が変わり工業団地になった。工場をめぐる桜が満開だ。

工事中の巨大な建物だ。ナンジャコリャ。高さは50mはあるだろうか。半導体工場になるそうだ。

道路を越した隣接地に細長い筒状のタンクが林立していて、ここも工事中のようだ。

白いタンクの側面に「液体窒素」と書かれていて、ここも巨大な冷凍機が作る作業の姿がある。

ここには専用の送電線が敷設されていて、街道を跨ぐ太いパイプで新工場へ送られる。

無人の村崎野駅だったがタクシーが多く駐車していたのはこの団地までバスが2便だからか。

 

 工業団地の丘を下ると田園地帯だ。街道に神社や寺がないと気づく。

街道は電線が続くところにあると脇道をゆくと、街道があった。民家があった。静かだ。

 小学生の下校時刻か。我々のザック姿を不思議そうに見つめていた。

 

 街道脇の小学校に名残松が三本と桜が咲いていた。街道を挟んだ右側に松が一本残っていた。

小学生が学校の塀際に咲いたタンポポを見ていたので、「花占いをしたら。」と話しかけると素直にタンポポ摘んで「好き、嫌、好き・・」と花びらを引き抜いて「いつまでも終わらないよ。」と諦め始めたので、無責任だが「最後までやりなさい。」と言って見たが、ダメだったろうな。

 

 花巻城の城下町で、街道は鍵状に曲がっていて方角に注意して歩くことになった。

花巻なら温泉だが駅前にはそれらしい看板は見渡らない。宮沢賢治の誕生地だが興味はない。

不勉強に役立つかもと道路看板に「500m先、記念館」の文字を発見し、急いで進んだがなんと5km先に記念館があるとの案内看板だけだ。そこは往復で三時間もかかる場所でやめにした。

 

 宿は近いぞ。雨がぱらついてきた。傘をさすほどでないが、胸騒ぎがした。明後日は雨の予報で登山用の防水ズボンだけ用意したが、折畳傘は微力かもしれない。

 偶然、道路沿いに100円ショップがあった。早速、ビニール傘を購入した。

 

 国道沿いのホテルは車なら入りやすいが街道歩きでは遠回りする場所にあった。

2019/4/24


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